内藤まろの書き写したい日本語

‘近現代文学’

三人客

2013-08-14 内藤まろ

「お待遠様、」

と出したのを、黙って請取って、腰のあたりで

引着けたまゝ茫やり。

「おやおやおや!」

帳場から、

「父上!」

「何うしたの、」と娘もばたばた、何につけても忙しい、

壱岐殿坂下のおやこ蕎麦と看板に記して、

夫婦と娘ばかり、男も使はず、近所の手前は親仁が受持って、

留守の内は板前を母親から預る、娘が給仕の共稼ぎ。

店も座敷も八畳の上が口の此の間一つ、積んだ蒸籠を床飾りにして、

客は五人だとぎっしり立込む程、内端な商売、勿論こゝが親子三人の

閨にもなる。

親子そば三人客

2013-08-09 内藤まろ

「一合正宗をつけておくれ。」

「お君や、熱くしてお上げ申しな。」

「はい、はい、」

母親と客へ二ツ返事で、お君という娘、向をかへると手を上へ、

一寸爪立ったが、真暗な棚の、貼札を正面にならんでいる、罎の中から

一本抜いて、直ぐしたの板の間へ、無造作に十能を差置いて、

小刻みに、やがて、煤けた柱でくぎったやう、磨硝子を嵌めたる如き、

湯気のむらむらとして、洋燈の朦朧とある中へ見えなくなる。

彼処に父親が居て、其のかゝりで、

「かへ一上、と口早也。

「あいよ、」

直ぐに娘は盆を据えて、片手を振りながら、台所の曇ったやうな

中仕切りの敷居を跨いで、結綿に結んだ手柄の色、鮮麗に露れたが、

此の註文は別に一人。

入口に極近く、障子に肩の触れるばかり、しをれたさまして、

羽織も着ないで、頬被をして居たらしい、なえた手拭を

項に絡いて、身を窄めて居たわかいもので、顔を灯に背けたから、

年紀の頃はよく分らず。

 

親子そば三人客

2013-08-06 内藤まろ

「然やうさ、」といひかけて、火鉢の縁に頬杖した、

客はフト心付いたやうに、自分と斜向に、其は入口の、

一間破れた障子を背。上框に腰をかけた、左足を土間一杯に踏伸し、

銅色の艶々と、然も痩せた片足を前はだけにぐいと折って、

踵で臍を壓するばかり、斜めに肩を落として、前のめり、

居睡すると身ゆるやう。左利の拇指と、人差を割ったのに、

薄手の猪口を挟んで、肘を鍵形にちゃッちこばらせ、貧乏揺ぎといふ、

總身をゆすぶッては俯向いたまゝ、猪口を鼻の先で押つけるやうにして

酒を嗅いで居る親仁があった。これを見て、目を返して、

いま引返さうとする娘が、襟足の雪のやうに鬢の浮いた、

蓋子もしなよく、すらりとした後姿を、

「あゝ、姉さん、」

「はい、」とあでやかに振返る。

 

親子そば三人客

2013-08-03 内藤まろ

面長で色白な、ちと柄は大きいが、六か七と見えてあどけない風、

結綿の髷がよく似合い、あらい絣の前垂して、立ち働きに繕はず、

衣紋の亂れたのも初々しい。嬌態もなく真直に立って、火を入れるのを見て、

「おゝ、有難う、」と忙しく両手を翳した、客は此の節一寸々々来て

見知越しなので、帳場に座って居た、女房が愛想をいふ。

「飛んだお寒さでございますねえ。」

「寒いッて何うも、」

「妙なお天気でございます。」

 

親子そば三人客 泉鏡太郎

2013-07-25 内藤まろ

「花まきを一つ、」と誂へて、縞の羽織の片手を懐に、

右手で焼落しの、最う灰になった大火鉢をぐい、と

引き寄せながら、帳場格子を後にして整然と座った、

角帯に金鎖を見せた客があった。彼是十二時に近い頃、

雨上がりの春寒い晩である。

「まきを一、」と媚かしい声で通したが、やがて十能に

真赤なのを堆く、紅の襷がけ、丸く白い二の腕あたり

惜気もなう、甲斐甲斐しく、土間を蓮葉にカラカラと

突っかけ下駄で持って来て、金火箸を柄長に取って

火鉢にざッくり。

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